2013年4月19日金曜日

いろんな活動を通じて目指すべき姿

お久しぶりです。
なんと、気がつけば1年ぶりのブログ更新!

存在すら忘れていたくらいだけど、
ちょっと想う事があったので書き留めたいと思う。

最近、会社でも子育て支援事業をまかせてもらっていながら、
いろいろな市民活動を実施できていて、
死にそうながらも、いわゆる充実した日々を送っている。


そもそも、それって何のためにやってんの?とか、
金になる活動なの?とか、いろいろ言われることもありますが、
いちいち答えてるのも面倒なので、ちょっと書きます。


私、実は我欲の強い人間でして。。
我欲がすべてを支配していました、はい。

俺ってこういう男で、こうあるべきで、こう見られていたい。
それから外れるのはNGでしょ?
ちょっと良いポジションにいたいな、とか。
そんな若者だったし、そんな人生を送っていた。

それはそれで楽しかったし、否定するつもりもない。
その時代の自分も、私を形成するひとつの財産です。

生活を変えるとか、環境が変わるとか、職場が変わるとか、
そんな変化では、私の考えの柱を一つも変えなかった。

考え方や自分の型って、意外と変わらないなぁと
つくづく感じます。
でも、今はだいぶ変わった考え方になり、
これがいいのか悪いのかわかりませんが、自分なりに納得いく自分になってきています。

ここで
私の考えを変化した出来事、ベスト3を発表しようと思います。

1位 子どもを授かった事(2009年)
2位 マラソン大会途中で意識不明で救急車、一時的な記憶障害(2010年)
3位 東日本大震災(2011年)

この3つですね。
あとは、いっぱいあり過ぎてかけないけど、
いろんな人との出会いが、かなり自分を変えてくれましたが、
人との出会いも、そもそも考えが変わってなければ変わらなかったでしょうね。

子どもを授かった衝撃はすごかったですね。
これまで今日明日のことしか考えていなかったのに、
子どもの将来のこと、
子どもがまた親になる時のこと
守るべきもの。
一気にいろんなことを考えるようになり、
もちろん育児が始まった事もあるけど、すぐにいろいろ環境を変えた。
ここで、
「俺はこうあるべきだ」
から
「子どもの周りの環境は20年後にこんななっていてほしいなぁ」
みたいな感覚にかわって、少し自我が薄れたような気がします。


次に、意識不明になった時。
結局全然大した事なくて、大げさに騒ぎすぎたと笑い話になっていますが、
このときは、記憶もあいまいになったし、このままだと「死」!?みたいな感じで、
初めてのことに一晩でいろいろな事を考えた。

正直、私は死なないだろうと思っていたし、
(死ぬほどの話では全然なかったけど。。。)
死ぬとしたら、何ができてなくて、家族に何を伝えきれてないだろうとか、
いろいろと思い巡らせて、即行動の大切さをしったというか、そんな出来事だった。


最後の震災は、もうすごく衝撃的で、
今も苦しんでいる方々を想うと、軽々しくかけないのですが、
これまで自分の中にあった「型」って、
とても勝手につけていた「型」だなぁと感じたというか、
こうでなくちゃいけない、こうあるべきだみたいな価値観って、
とらわれすぎていても、あっという間に覆ってしまって
そんな価値観の中で、誰が悪いとか責任の所在はとかっていってることが
どの価値観で今そんな事が言えるんだろうとか、
ちょっと「型」というものを客観的に見るようになった。

家族との時間も大切にするようになったし、
他の自分が大切にする事もはっきりと見えてきた。


こんな感じで、自分自身の考え方が変わってきて、
今は暴走に近い走り方ながらも、とても充実してきている。

現在、「おこさまランチ革命」という取り組みを本格スタートしたばかり。
この取り組みは、いろんな人にきっかけとか、展望とか聞かれるけど、
そんなに大それた野望があるわけでも何でもない。

もちろん、子どもの健康や食の安全、医療費の問題や
農産物の問題などあるけど、素直に思うのはもっとシンプル。

私が親になった時に考え方が変わったのと同様に、
子どもが親になるときも、子どもは考え方が変わるだろうなぁと
ぼんやりと思ってる。

だから、子どもが親になる30年後くらいに、どんな環境が作れてるのかって。

その環境のキーワードは「豊か」

どんな状態かっていうと、
この地で生まれた事を誇りに思える環境で、
雪国であるがゆえに、
助け合い、譲り合い、触れ合いながら生きていくことを自然と身に付け、
「おかげさま」で生きているということを深く認識し、
食に対しても、人に対しても、感謝の気持ちを持てる豊かさ。

こんな文化を持つ人たちがいる町で
私の30年後でもいいので親になり、同じ心境の変化を感じ、
このまちで子を育てる幸せやさらに30年後を考える豊かさを
同じように持ってほしいなと言うのが、

私のわがまま。

この町がすきだから、30年後のこのまちも好きでいたいし、同じ気持ちを共有したい。


スキな町に、テを加えてステキな町に。

そんな思いで、いろいろ取り組んでいます。
これからも暴走野郎ですがよろしくお願いします。